あけすけな話をしながら、知らない人の話を聞きながら、
自分の肝要な部分へのアクセスは閉じておく、
という無責任なことができるから一人飲みが好き。
一方で、年季の入ったマスターの前では、
当たり障りの無い穏やかな世間話しかしていないのに
全部を見透かされているような気持ちになる。これも好き。
「今夜、すべてのバーで」の中に出てくる夢のような酒。
まるでその小説のようなお酒に出会って、はまってしまっている。
味が好きなこれそれのお酒、というのはあるけれど、
基本的には酔っぱらうのが楽しいと思って今までお酒を飲んでいた。
そんな観念をぐるりと変えてしまったのが、
上述した「年季の入ったマスター」だ。
浅学を漁って何かにたとえれば、
千利休の点てた茶はこのようなものだったのかもしれないとさえ思う。
しみじみと、もはや感動の域。作品の域。
乾き物も何もいらない。お水もいらない。
心地よく酔うが、酔っぱらいはしない。
同じ夜、別の店で同じギムレットを頼んでみた。
まったく別の代物であった。
まずい酒、というものも実在するのだなと初めて実感した。
また、面倒なものを覚えた。
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