私の想像する、最近の量産型人間の成長過程。
幼年:
若い父母のもとに生まれる。
市販の食料やおむつを与えられる。
家具の角には尖ったところがない。
幼少:
危ないところには行かないようにと言われる。
そもそも行ってみたいとも思わないし
一緒に行こうかと思った同級生は塾で忙しい。
一人で立ち寄った公園は閑散としていて、
「大声出さないで」「ボール遊び禁止」の札が掲げられてる。
この時点で、虫を殺したこともなければ
派手にすりむいて大泣きしたこともない。
少し熱が出れば、市販の熱冷まシートが待っている。
思春期;
型通りの受験勉強をおえ、落ち着くべき進路に入る。
点数で振り分けられたところの。
あるいは一足早く働き始める。
このころから、セックスと年金について考え始める。
少年期;
アングラなもの、サブカルなものに釣られる。
しかし、サンプリングされているのは誰なのかとか、
オマージュの対象になっているのは誰なのかとか、
どんな会社がその「もの」に関わっているかには無関心。
ここで大半が、エイベックス的なものか、電通的なもの、
UST的なものか、ファストファッション的なものにかっさらわれる。
青年期;
自分の町が他の町とだんだん似て来ている、という
致命的な事実に気がつかないまま、
自分の町の特色について知ろうともしないから
「やっぱ地元って落ち着くんだよね」というトーンで日々が過ぎる。
チェーンの居酒屋で仲間内で飲む。アルコールならなんでもいい。
その後は私にも未経験の領域であるからここからは想像。
・精神的に、何にもコミットしていない
・チェーン店:安くて便利、だと思っている
・つぶれて行く個人店の殆どには入ったこともない
・あの店(もちろんチェーン)が近所にできた!でちょっと喜ぶ
・中堅どころの知識人を取り巻ける人は取り巻いて、
その内容よりも追っかけている自分に満足している。
そして、自分そのもの裸一貫分の自分に満足しているかどうかは
考えようとしてもすぐやめる。
この間じゅうずっと、年金とセックスについて考えている。
どこかに覚悟を決めて根を下ろすこともなく、
降りてしまった根の上でいっぱしに眉なんか寄せてみるけれども
寄せる根拠なんて2センチ掘り返した時点でわかるくらい何もなく、
空虚の代わりに惰性が横行しているので本人たちはそれなりにざわざわしていて
しかし、うさんくさい広告代理店やなんかの策略どおりに動いている、
均一都市化に、自分の個性(あれば)も含め絡めとられている。
そのことに気がついていないわけでもないけれど、
まあこの毎日が無難に続けばいずれは老後よね、と
また老後とセックスについてのぼんやりした考察。この間15秒。
諦観でもなんでもなく、
ただ、感情のレセプター、反抗子としての駆動部が
一切合切掛けているのではないかとしか思えない。
この世、この人生に根を張らず、責任も受け流し、
牙をむくことも無く、年を取るのを待っている。
若者の多くが、心をすっぽりなくした
流行の、しかし無自覚のサイレントテロリストである。
根を張らず、牙も剥かず、やっきにならず、
放棄には慣れていて、罪悪感は人ごとで、
消費者が最大の生産者である自覚が欠損している。
このままではその波に飲まれそうだ。
波、というよりは、だらだらとした曇り空に同化しそうだ。
執着ということばが、ことに美しく見えて来た最近。
箍の外れた馬鹿よりも怖いのは、
感覚の受容能力をアプリオリに失った人々の集団、
=社会である。
「私の言語の限界は、私の世界の限界だ」と哲学者は行った。
逆だったらごめんなさいな。
とまれ、OWNな言語を持たない人々に、そもそも世界などない。
夜中の極論だといって引き下げたりはしないよ。
無自覚な、事なかれ主義の量産型無思考人間が、
シロアリのようにそこらじゅうを万遍なく食い散らかしている。
「掘り下げない」「関わらない」「コミットしない」
こういった、匂いたつような距離感は、彼らなりの動物的防御本能なのだろうか。
それとも、すでにインプットされてしまっているのだろうか。
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