2011年6月18日土曜日

情緒の正体

人の話を聞くのが好きだ。


想像を超えた具体性があるからだ。


具体性のある、ディティルのある話を聞いていると
その辺のニュースよりもよっぽど興味深い。


思うに私はディティルのある人が好きなのだ。
身の回りの品々や、茶飯事の手順に拘るという意味ではなく、
その人なりの細かな気付きを持って毎日を暮らしている人。


大きなものを上から下へ、あるいは右から左へというのではなく、
小さなものを、小さなものとして伝える人を好ましく感じる。


靴の中にいつ石が入ったのか不思議に思った、だとか
僕の自転車には前に3つ、後ろに8つのギアがついていて、だとか
どうでもいいことは、本当は、決してどうでもよくなどない。


不幸せなことにも、幸せなことにも、
それぞれかけがえのないディティルがある。
だが、幸せにも不幸せにも明確に計上できない物事には
遥かにたくさんのディティルがある。


考えてみてほしい。
この一日のうち、どれだけのあいだ幸せを感じていて、
どれだけのあいだ不幸せに陥っていたか。
あるいはこのひと月のうち、またはこの一年のうち。


日々のこれそれにある具体性をどれだけ無意識に保持していられるか。
たぶん、私が考え自他に求める情緒というのはこれにかかっているんだろう。









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