2011年6月14日火曜日

「実」の在処

「実(じつ)」はどこにあるのだろうと考える。


世にも人にも実がなければ生きて行く甲斐がないというものだ。


それとも、実を得たり創ったりするために
一見あくせくと、遠目には大概似たように生きているのだろうか。


実を目指して、実に向かって、
それを渇望しているのだろうか。


あまりに味気ない。
すべてが、つくりもののように見える。


そうです人間は本当は電池で生きています。
地球は、大きな生き物の細胞ですが、
大きな生き物と人間との間に位置する知性体というのもいて、
人間というのはその中間知性体のすごろくなんです。


なんて言われたらそうなのかもしれないと、
初夏の夜の空気に探す肌寒さ程度には納得してしまいそうだけれども


ではなぜ私は私で、
妙な愛のようなものを抱えて右往左往しているのだと問いたくなって
何に問おうか分からないときには空の方に顔が向くので
やはり中間知性体みたいな奴がいるのかもしれないと
ぐるぐる変なことを考えているのです。







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