2011年6月9日木曜日

背中を読む

部屋を片付けた折に、
枕元の本棚に置く本のラインナップを変えた。


枕元の本棚というのは文字通り、
枕に頭を置いたままで手が届く、
ベッドに隣接した本棚だ。


枕に頭を置いたまま右を向けばそのまま眼に入る一角を
今までは、未読本を置くコーナーにしていたが、
これを新しく、気に入りの本だけを置くコーナーにしてみた。


覿面である。


夢十夜、漂流物、香水、柿の種、バートルビー、
蜘蛛女のキス、タクシー運転手の賢言…。


背表紙を眺めているだけで安心する。
何度も観た映画(見慣れた映画、とでも言おうか)を
BGMに流している感覚になる。


新しい本を次々に読まなくては、というのは
単なる一種の強迫観念であり、またある種のプライドである。


一連の背表紙を眺めていると、
そういった気負いから解放される。
本に対する気負いから解放されると、
「気負いからの解放」が他の事々にも伝播するようで
なんとも気楽な、ゆったりした脈になる。


そうして、矛盾するようだけれども新たに、
ここに加わるべき相性の良い本を見つけていきたいと
非常に穏やかに望むようになる。


対人関係についても同じようなものかもしれないなと思う。
背中や横顔を見ているだけで安心できるような旧い人は大切。
新しい人間関係をとりあえず広げなければというのは
強迫観念でもありプライドでもある。
一方で、人との新しく深いつながりに、まだ希望を抱いてもいる。


捨てた方が良さそうな気負いは
探せば探すだけありそうだ。
穏やかに欲するべき事と同じ数だけ。


そして眠る。



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